8月の真ん中ごろに、よくわからんけど「お盆休み」というのがあって多くの会社が休みになります。
日本社会のスケジュールの中で結構重要なポジションを占めているお盆ですが、そもそも「お盆」って何なの?と問われると答えられる方は少ないのではないでしょうか?
本記事ではお盆を解説します!
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お盆とは
お盆とは、もともと「ウランバナ」というサンスクリット語の音に漢字をあてた「盂蘭盆」という言葉がもとになった仏教から生まれた言葉です。
「盂蘭盆」とは「倒懸(逆さ吊りの意味)」という解説を多く目にするのですが、近年の研究ではこれは間違いであったとされているようです。
盂蘭盆の意味は「食事をのせたお盆」という意味で、雨季におこなわれる安居(僧侶の勉強会)で僧侶に施しをすることがもとになっています。
盂蘭盆経のストーリー
さてさて、お盆の話にもどりましょう。
日本に入ってからは日本の祖霊信仰や文化が地域ごとにいろいろごちゃ混ぜな状態になってますけど、基本的には仏事です。
お盆の由来は盂蘭盆経(うらぼんきょう)というお経に書かれています。(浄土真宗では読みません。)
この盂蘭盆経ではとあるストーリーが語られておりまして、これが現代にも続くお盆の風習に大きく影響しています。
もうあんまり真面目に書いちゃうと読む気が失せるので、無礼を承知でだいぶデフォルメして書きます。
施せ目連くん!!奇跡のおかん救出物語!!
お釈迦様の弟子のひとりに、神通第一と言われた目連尊者(もくれんそんじゃ)という方がいました。
キャラ設定を「目連くん」とし、えせ関西弁でしゃべることにしましょう。
▼とりあえず名前だけだとイメージがわかないので、仮に目連くんとします。わいが目連やで。
目連くんは神通第一と言われるスーパーお坊さん。
神通第一なんて言いますと、不思議な魔法みたいな力が超すごかったよ!
という事ですが、現代的に解釈するなら博識ですぐれた観察眼と全てを見通すような推察力にすぐれていた、というような感じなのでしょう。
あるとき目連くんは、自分のことを大切に育ててくれた最愛の母を亡くします。
月日がたって悲しみも癒えたころのこと。
と思って、その超すごい神通力で天から地獄まで母親はどこにいったのか探してみることにしました。
自分の事をしっかり育ててくれた母親ですから、亡くなったあとちゃんと天に行っておるだろうと思ってい
たら、見つかったのはまさかの地獄-JIGOKU-。
目連くんの母親は欲深いものが落ちるといわれる「餓鬼道」に落ちて飢えていたのです。
そんなあほな、うわ〜これあかんやつや!!
おかん今助けたるで、待っときや〜!!
そう思った目連くんは、餓鬼道に落ちて飢えている母親を救おうと自分の神通力を使って食べ物や水を母に与えようとしました。
しかし何をやっても、母親が口に入れようとした瞬間炎となって燃えてしまい口にいれることはできません。
亡き母の体は、骨と皮の痩せこけた餓鬼の姿となって見るも哀れな様子です。
こうなったらお釈迦さまに相談や!!
そこで、目連くんは、
お釈迦様!
マジでヤバイっす!
どないもならんのですけど、これどないしたらええんでしょうかー!?
とお釈迦さまに相談しました。
するとお釈迦さまは
お前の母親は大変罪深いので、お前1人の力では救うことが出来ない。
とおっしゃるのです。
えぇ〜!!そんなアホな!
ぼくのことめっちゃちゃんと育ててくれはりましたんやでぇ〜!!
お前の母親は息子のお前だけを可愛がり、お前を育てる為に他人から物を取るばかりで、他の人に施すということが無かった。
物惜しみをして、自分の持っている物を他人に与えようとしなかった罪によって餓鬼界に落ちたのだ。
ぐぬぬっ!
確かにそれはそうかもしれへん・・・。
母親を救うには、安居(雨期に僧侶が籠もって勉強会をすること)が終わる七月十五日に大勢の僧侶を集めて、たくさんの食べ物や飲み物を供養しなさい。
とおっしゃったのでした。
わかりました!
よっしゃ、やったるで〜!!
目連くんはお釈迦さまの言葉どおり多くの僧をもてなし、誠心誠意施し、その功徳パワーを使うことによって母親も餓鬼道から救われたのでした、ちゃんちゃん。
諸説ありますが、大体はこんなストーリーです。
誰の目線でこのストーリーを読みましたか?
さて、ここで大事なのはみなさんは誰の立場にたってこのお話を読んだか?ということです。
多くの方が「目連くん」の目線になっていたのではないでしょうか?
話の主人公ということもありますが、無意識に「自分は正しい者」という立場に立つのが私たち人間のクセです。
ですからこの場合は目連くんの立場に立ちますし、「救う側」に立とうとしてしまいます。
しかし現実のわれわれの姿をかえりみたらどうでしょうか?
足らぬ足らぬと人のものを奪い、自分の利益ばかりを考えて施しもせず、家族を養うためとはいえ他人のものを奪うような目連の母親のような姿こそが我々のあり方ではないでしょうか?
極端に泥棒をする・しないという話ではありませんよ。
「自分が良ければそれでいい」という思いを無自覚に我々は心の中にもっているということに気づきなさいよということなのです。
お釈迦様は「自分の親だから施しをする、他人だからしない。」というような考えを持つことは、幸せにむかう道ではないとおっしゃっています。
目連くんの気づき
他人をかえりみずにむさぼり餓鬼道に落ちてしまった母親の姿によって、目連くんは欲を持つことの罪深さを教えられると同時に、施しの尊さを教えられました。
死してなお、母親はその姿によって私に気づきを与えて導いてくれているのだと目連くんは受け取ったんですね。
貪りの象徴である餓鬼に対して私が施すことで母親が助かったということではなく、母がその餓鬼となった姿をもって大切なことを教えてくだっさった仏様であると受け止められるようになった時、母親が餓鬼道から救われたということです。
浄土真宗はお盆の受け取り方が他宗派とは違います。
他宗派では餓鬼に施すことで先祖の霊を供養するという意味が強いですが、浄土真宗の場合霊ということを扱いませんし先祖を供養するということを言いません。
ですので、お盆は時節の行事として亡くなられた方のご恩というものをあらためて感謝させて頂くための仏事と受け止めてはいかがでしょうか。
故人を仏さまとしてとらえていきますので、他宗派のように霊魂が帰ってくるという「精霊棚」や乗り物の「キュウリやなすの馬とか牛」などのお盆仕様の特別なお飾り等は必要ありません。
通常通りのお飾りで結構です。
お盆休みだっ!!連休だっ!!旅行行こうぜっ!!
というのももちろんいいんですが、せっかくの仏事の期間です。
ご先祖から私たちまでいのちがここまでつながってきたという事実、そして自分の姿のあり方について改めて目を向ける大切な機会としたいものです。
合掌。
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そや、亡くなったおかんは一体どこにおるんやろ??
わい神通力すごいし、これで探したろ。