こんにちは、お坊さんブロガーのへんも(@henmority)です。
20代・30代になると周りの人が厄年について話をしているのを耳にすることも多くなりふと気になるものですよね。
科学がこれほど進歩しているにも関わらず、まことしやかに話題になる厄年。
今日はみんなが気にしてないようで意外と気にする「厄年」について解説していきますね。
厄年ってなんなんだ?
厄年というのは700年代に書かれた中国の医学書などや、陰陽説、言葉の語呂などが混ざり合ってできあがったものです。
日本では平安時代には厄年を恐れる風習は広まっていたようですが、その科学的根拠や起源は不明です。
厄年と言われる年齢は以下の通り。
満年齢ではなく数え年で数えます。
- 25歳
- 42歳
- 61歳
- 19歳
- 33歳
- 37歳
一般的にはこのように言われますが、厄年について調べてみるといろいろと情報がでてきました。
驚いたことに、厄年のルールは地域によって違いがあっては御祝い事だと思っている七五三や還暦、古希、喜寿、米寿なども厄年だというところもあるようです。
調べてわかったかぎり羅列しますと3・5・7・13・16・25・33・34・37・42・49・52・61・70・73・77・85・88・97・99・105歳などが厄年になるようです。
おい、厄になる年めっちゃあるやんけ。
これに、前厄だ〜、後厄だ〜、などと言い出すと、逆にいつ厄年じゃないのか?という気がしますね。
厄年ってどうやってきまったの?
そして、その厄年といわれることの理由が25(不意)33(散々)42(死に)など言葉のこじつけということらしいのです。
これが本当ならまったく科学的根拠もない、無駄な習慣だと思うのです。
百歩譲って生物としての人間の肉体的性質ということを考えてみましょう。
厄年にあたる年齢で何か体の器官の成長や変化がおきやすい時期というものがあるのかもしれません。
しかし、現代は平安時代とは平均年齢も文化も食生活も大きく変わっていますよね。
現代人に同じルールが適用できるとはとても思いません。
病気と年齢の統計データを見ても、厄年と病気の相関性は見当たらないようです。
若くても大病される方もおられるし、高齢でもピンピンと元気に過ごしているかたもおられます。
また、一般に「厄」として考えられるものは、体の変化・病気だけでなく、交通事故や犯罪、台風や地震などの災害なども含まれて考えられます。
これらの災厄は厄年の人だけにおとずれるのでしょうか?
そんなことはありませんよね。
浄土真宗と厄年
浄土真宗の教えというのは自分にとって不都合な災厄が起こらないように仏に祈る教えではありません。
「老・病・死」を筆頭に、厄払いしようが、何かに祈ろうが、お守りを持とうが、人生にはどうやっても避けようがない問題が起こってくるものです。
でも、そのできごとをどう受け止めていくのかというのは学ぶことができるんですよね。
それが仏教の教えを聞くということなんです。
仏の教えを聞くというのは、お祓いをして何かやったような気になる小手先の解決ではなく、物事の本質に気づき目覚めよという教えにうなずいていくことです。
厄年であろうとなかろうと、人生には良いことも悪いことも起こるということをはっきり知ることが大切なのです。
縁によって起こることは年齢や自分の思いとは関係なく起こり、避けようがありません。
歎異抄のなかにはこのような言葉があります。
よきことも、あしきことも、業報にさしまかせて、ひとえに本願をたのみまいらす
歎異抄
仏教徒として念仏の生活を送るということは、良いことも悪いことも、その一つ一つの出来事から学び人生の糧として転じていける智慧を身につけていくことです。
これからすごす毎日というものは、何歳であってもすべて生まれて初めての経験となる尊い1日。
根拠のない迷信に縛られあれこれ悩み苦しまないで、手を合わせる感謝の日々を過ごさせて頂きたいものです。