こんにちは、善照寺住職のへんもです。
実はお寺の山門と本堂ってわざとずらした位置に建てられていることがあるんですよ。
本記事ではお寺に参るときに、知ってるとちょっとおもしろい小ネタを紹介します。
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お寺の山門と建物はずれている?
こちらの写真は本山興正寺の山門です。

山門の奥に建物(御影堂・ごえいどう)があるのですが、門を通して奥の建物を見ると、山門と建物の中心がズレているのがわかりますでしょうか?
門をくぐって中に入ってもらうと、参道が左に曲がっています。

お寺は俗の世界ではなく聖域であり、仏さまの領域であるということに敬意を示しましょう。
お寺からでる時も、向き直って一礼し帰りましょう。
最後に、参道はお堂の前でもう一度曲がって、正面入口へと接続しています。

まっすぐ建てる技術がなくてこうなってるのではないのです。
むしろ、わざと本堂の正面からずらして山門を建てているのです。
全ての寺院がこうなっているわけではないですが、かなり高い割合で寺院はこのような建て方をしているようです。
本堂と山門がズレている3つの理由
このずらしている理由は文献などできちんと調べたわけではないんですが、先輩僧侶から口伝で伝え聞いている説を3つ紹介します。
1.ご本尊に失礼にならないように説。
真正面にまっすぐ参道があると、山門を出るときにご本尊やご真影に対して背中を見せることになります。
仏様にお尻を向けてしまうような状態ですね。
それが失礼にあたるから、山門を少しずらした位置に建てることで、自然と背中をむけないようになる設計がなされている、というご本尊を大事に考えた設計説。
2.攻められたり狙われにくいように説。
昔のお寺は要人が集まったり、住職がその相談役になったりすることがありました。
その要人が本堂の中で話をしていたりすると、山門の外から姿が見えてしまうわけです。
鉄砲や弓で狙われることもあるかもしれません。
中の様子を外から見えにくく設計にして奇襲を防ぐために正面をずらしてある、というセキュリティ的意味合いが強い説。
3.神社の作りと文化的に混同している説。
これも「1」の理由と似た感じなのですが、神社の参道もくの字になっていたり、斜めの場所が作られていたりして拝殿とまっすぐにはなっていないところも多くあります。
これは神さまの真正面を避けるために基本的に中心をずらして建てるのが通例だそうです。
なのでお寺と神社がごっちゃになってた時代に文化が混ざったことも考えられる、という説。
いろいろ複合的なんでしょうけど
どれかひとつの理由でこうだ!というのではなく、いろいろな理由が複合的にからみあって、慣例として本堂と山門はずらして建てるものだ、となったのでしょう。
地形的な要因で本堂を建てる位置に制限があるお寺もあるかもしれません。
しかし、以前念仏するということはどういうことかという記事を書きましたが、やはり現代的には1の御本尊を大切にしているためという理由を重視したいところですね。
建物という環境的な部分にも「仏さまが常に頭の中にある」ということが形としてあらわれているんだと受け取るのが良いような気がします。
現代でも新しくお寺を建てたり改築するときにはわざわざずらして建てるお寺も多いのです。
善照寺の参道も山門から斜めに本堂に向かっています。
どこかお寺にお参りする時は建物だけじゃなく、参道の様子もまた注目してみてくださいね。