身内の方が亡くなったあと、命日から数えて四十九日目をご縁に法事をつとめます。
これを四十九日の法事とか満中陰の法事と呼びます。
実はこの四十九日の法事の日程を決める時に、よく問題が起こるんですよ。
それが四十九日の法事は3ヶ月にまたがったらダメ問題。
命日から数えて49日目が3ヶ月にまたがると良くないという方がおられるんですよね。
もし3ヶ月にかかったら日程を早めて三十五日に法事をするのですが、なぜそんなことをするのかその理由をご存じでしょうか?
本記事では四十九日の法事が3ヶ月にまたがるとダメと言われる問題について解説します。
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四十九日の法事が3ヶ月になったらダメなの?
結論から言いましょう。
四十九日が命日から数えて3ヶ月目になっても、何も問題はありません。
もしご家族の法事が3ヶ月目になるな・・・と気になっていても心配はありませんよ。
四十九日の法事が3ヶ月になってはいけないと言われる理由
なぜ四十九日の法事が3ヶ月にまたがったらいけないのかの理由を説明しましょう。
これは「四十九」を「始終苦(しじゅうく)」と、「三月」を「身付き」と読み、この2つを合わせて、「始終苦しみが身につく」という語呂合わせから来ています。
つまり、四十九日が3ヶ月にまたがると自分たちに「始終苦しみが身付きになる」かもしれないからやめとこう!と誰かが言いだした、ということなのです。
え?そんなことなの?ダジャレ? と思ったあなた。
その通り。
ダジャレです。
もう一回言いますが、 ダジャレです。
これ以上の理由はありません。
数学的に考えても半分以上の確率で3ヶ月にかかります。
冷静に考えてみましょう。
1年間のうち、2月を除くと1ヶ月は30日、もしくは31日ですよね。
49日が3ヶ月にまたがらないようにということを考えたら、毎月14日以降に亡くなった方以外は絶対3ヶ月にかかります。
月の後半に亡くなった方は100%アウトですね。
▼1月は12日以降に亡くなったら絶対3ヶ月にまたがります。
先ほど書いたように、ダジャレ以外に仏教的な意味はひとつもありません。
要するに、これは仏教とはなんの関係もない迷信なんです。
迷信とは文字通り人を迷わせる不確かな情報です。
科学がこれだけ発達した時代であっても、ただのダジャレに世の中の多くの方が翻弄されているんですね。
根拠のない迷信がとてつもない影響力をもつということがよくわかりますね。
迷信に振り回されることこそ非科学的
仏教では生きるということは苦しみである。人生は苦である。
ということが教えられます。
人間は生まれたときから死ぬまでさまざまな苦しみの中に生きています。
それなのに、四十九日の法事が3ヶ月にまたがって苦しみがついたら・・・と根拠もない迷信に振り回される生き方は理性的とは言えませんね。
人生は苦しみであると言ってもそれは現状を指摘しているのであって、苦しい人生を歩みなさいといっているのではありません。
苦しいのであるから、きちんと正しいことを見極める目をもち、世界の法則を学んで人生ときちんとむきあえるようになりましょうということなんですね。
信心深いというのは理性的な生き方
根拠もないデタラメなことでも、ふと耳にしてしまうと「これでいいのかな・・・?」と不安になることはよくあることでしょう。
しかし本当に大切なことを知っていれば、周りの人がなんと言おうと落ち着いて冷静な判断ができるのではないでしょうか。
迷信・俗信に振り回されるのではなく、何が本当の事なのかをよく考え、理性的に生きる生き方、主体的な生き方をすることが浄土真宗の「信心深い」生き方でございます。
バチやタタリなどの災いが自分に降りかからないようにと、あれこれいろんなところにお参りしたり祈祷してもらうことが「信心深い」というのではありません。
事実をしっかりと見つめ、冷静な判断ができるようになりたいものですね。
合掌。
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