高橋重人さんとの対談がかなり盛り上がりましたので記事に全文起こしております。
対談パート1ではライブの前にお勤めしたことの解説や阿弥陀仏のことをご紹介しました。
まだの方はこちらからご覧になってください。
ウクレレ×仏教 高橋重人さんと対談したよパート2



そうですね、最初はサンスクリット語やパーリ語とという古代インドの言葉で伝えられていました。

お釈迦様はお話をしてまわったのですが、お釈迦様自身は直接なにかに教えを書きのこすということはしませんでした。
というのも、当時のインドでは哲学や宗教に関することを文字に残すということは失礼にあたると考えられていたようです。

失礼だったんですか??


弟子達が集まって、「おい、このままではやばいぞ。教えわからんなってしまうぞ。」となるわけです。

そうですよね。

そこで弟子達が集まって

俺はこう聞いたよ!

俺もこう聞いたぜ!

よっしゃ、みんな言うとることあっとるな、確認確認。
口伝で正確な内容を伝えるのは限界があるから、これまとめて本にして残しておこうぜ〜!
参考:【浄土真宗】お経の意味って何なの?!呪文やおまじないとはまったく違うよ!
【浄土真宗】お経の意味って何なの?!呪文やおまじないとはまったく違うよ!

こうやってテキスト化されたものがお経なんです。

なるほど。

そのお経が中国に入った時にサンスクリット語から漢字に訳されるわけです。

西遊記で三蔵法師が取りに行った話のことですね。

そうですね。
当時の中国のお坊さんが漢訳して、日本に来るときにははそのまま漢文のお経が入ってきたということなんです。

お経を読むときに漢字の意味をゆっくり読んでいけば意味がわかるものなんですか?

なかなかそれは難しいと思いますね。

というのも、言葉がサンスクリットから漢字に訳される時に2種類の訳し方をしているんです。

2種類ですか?

ひとつは言葉の意味をとって漢字になおしたもの。
ひとつは言葉の音をとって漢字になおしたものがあります。

音をとって訳すってどういうことですか?

例えばアメリカを亜米利加って書いたり、フランスを仏蘭西と書いたりするのと同じですよね。
これだと「亜」「米」「利」「加」って漢字の意味をとっていっても言葉の意味はわかりませんよね?

なるほど。

お経の中にはこの意味をとった漢訳と音をとった漢訳が混じっているので、漢字の意味をとっていっても意味がわからないんですよ。


このご本尊の阿弥陀仏の「阿弥陀」という言葉もサンスクリットの言葉に漢字の音を当てはめて訳された言葉なんです。

もともとのサンスクリット語ではアミターバとかアミターユスという言葉でしたので、その音に漢字が当てはめられたんですよ。
意味は無限の光とか無限のいのちという意味ですね。
参考:仏教界のキラキラネーム!?ものすごい光という名前の仏さま。
仏教界のキラキラネーム!?阿弥陀如来はものすごい光という名前の仏さま。

そういう意味だったんですね。

例えば現代語訳して唱えるなんてことはないのでしょうか?

ん〜…無いことはないんですが…。

何かこう…お勤めの重厚さが減るんですよ。

ほう。

浄土真宗ではおなじみの正信偈(しょうしんげ)というお勤めがあるのですが、今から50年近く前にこの正信偈を現代語訳したお勤めとして「和訳正信偈(わやくしょうしんげ)」というものが作られました。

「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)〜」とはじまるのを「ひかりといのちきわみなき〜」みたいにしたんですね。

これがまあ全っ然浸透しないんですよ。

それは何か良くなかったんですか?

ん〜よくわからないんですが、人気がないんですよ。

響かないんですかねぇ。


音楽でも「ただただ聞きやすい」とか「意味がわかりやすい」ということが良いわけではないということを先生から習ったんですよね。

時には泥臭いこととか、かっこわるいことあっても、その楽曲が必要とするときにはそう弾くべきだと。
ただただ速弾きがすごいとか派手な奏法がいいだけじゃなくて、地味に徹することも大事ですし。

何かそことも通じることを感じますね。

別にその和訳した文章が悪いとかそういうことではないんですが、言葉の意味がわかることだけが伝える方法ではないという例かもしれませんね。

和訳した文章をお勤めとして読んでいったら多少意味はわかりやすいのかもしれないけど、なんかあんまりありがたくないなぁという感想になることが起こるんですよね。
期待してたお経と何か違う…みたいな。

音楽的に言うなら、その読んでる人の心が音楽表現としてのるといいますか、やはり言語外の感動というものが重要なのかもしれません。

なるほど。
仏教はお釈迦様がはじめたということですけれども、最初は今とは違う言葉だったわけですよね?
最初はインドで生まれたけれども、それがだんだん中国や東南アジアの方に伝わっていったわけですね。