こんにちは、善照寺住職の(@henmority)です。
災害も多く、日本全体が閉塞感を感じていた平成30年が終わり、いよいよ新しい元号となる新たな年がスタートしました。
新年のご挨拶も兼ねて、大晦日の除夜の鐘から新年の法話までをこの記事でレポートします。
2018除夜の鐘
平成最後の大晦日は風も無く、星がとてもきれいな夜でした。
除夜の鐘の準備してるんだけど、照明をつけるのがもったいないくらい星がきれい。
— へんも@善照寺住職/ブロガー/フットバッグパフォーマー (@henmority) December 31, 2018
22時48分から撞きはじめて、0時までやってるよ!
0時からはおつとめと景品の当たるゲーム大会あり。#除夜の鐘 pic.twitter.com/Jf97A1b9JN
気温は少し低いものの、雨の心配もなく準備も順調。
▼お参りに来ていただいた方に温かいものをと思い、善照寺では豚汁を振る舞っています。
10時48分40秒から除夜の鐘のつきはじめ。
善照寺の除夜の鐘は40秒間隔で108回、0時に108回目をつくというスケジュールで除夜の鐘を撞いています。
誰が撞いてもタイミングがわかるように、iOSアプリ「ジョヤタイマー」を使って管理しています。
1年に1回だけ活躍するアプリ、ジョヤタイマーをセッティング!#除夜の鐘 pic.twitter.com/awDoh4H8xW
— へんも@善照寺住職/ブロガー/フットバッグパフォーマー (@henmority) December 31, 2018
23時すぎまで誰も来ないから、このまま誰も来なかったらどうしようと心配になりましたが・・・ 結局、だんだん人が増えて延べ人数でいうと70〜80人ぐらいの方がお越しくださいました。
▼豚汁を食べたり焚き火で温まりながら、みんなで順番に鐘をついていきましたよ。
2019年修正会
0時になって年があけたらみんな本堂へ移動。
▼一緒に正信偈を読んで、新年最初のおつとめ「修正会(しゅしょうえ)」を勤めました。
▼深夜にもかかわらずこどもたちもたくさん参加してくれています。 お勤めのあと少し法話をさせていただきました。
新年の法話
みなさんは嫌いな人っていますか?
会社の中やクラスの中に、嫌いとは言わないまでも「この人苦手だなぁ」と思う相手はいますよね。
正直、みなさんの前で話をしているぼくも苦手なタイプや人はいます。
具体的な名前をあげる必要はありませんが、例えばどんな方が苦手でしょうか?
好きな人はいろいろあると思いますが、嫌いな人・苦手な人というのはだいたいこのような感じではないでしょうか。
- わがまま
- 自己中・自分勝手
- 自慢する
- 批判や悪口ばっかり言う
- 暴力的
正直言って、私も苦手です。
ですが、こういう人がいるときでも人間関係を断って生きるということは難しいですから、なんとか努力をしていく必要があります。
人のことを変えることはかなり難しいこと。
自分がよりよくなって改善する方が早いわけですよね。
具体的にどう改善すればうまく行くかというと、ここに回答がでています。
▼人間関係に困っている人は、今あげた苦手な人の特徴の逆をすればいいんです。
- 素直に聞く
- 人のことを思いやる
- 悪口は言わず、やさしい言葉を使う
- 人に危害を加えない
- 暴力は使わない
この通りできたなら、それは素晴らしいことです。
と同時に人間関係の基本でもあります。
・・・とまあここまでは道徳の話です。
学校やセミナーでも同じような話を聞くことがあるでしょう。
ですが、ここはお寺ですので仏教の話を聞いていただきたいのです。
浄土真宗ではこのいい人間になろうとすることも注意が必要ですよ、ということを説いています。
もちろん素直であろう、人のことを思いやろうとすることはとても大切です。
しかし、その心の裏には「私はできている」とか「私は正しい」という心が芽生えてくるものです。
浄土真宗ではその心こそが危ないんですよと教えています。
浄土真宗の教えの中ではわれわれ人間のことを煩悩具足の凡夫であるととらえています。
▼煩悩具足の凡夫
あれが欲しいこれが欲しいという欲求や、怒りの心、人をうらやむ心、これも煩悩ですね。
具足というのは100%それでできているということ。ポンジュースならみかん果汁具足、うどんなら小麦粉具足ですね。
凡夫は自力で悟りをひらけない、しょーもない存在ということです。
われわれは煩悩100パーセントでできていて、ちょっと人にやさしくしたり、やさしい言葉をつかったりしたときにもすぐに「えらそう」なってしまう性質を持っています。
そのように「良いことをしてもえらそうになってはいけないよ」ということを教えています。
「あの人はわがままだなぁ」という時には、その裏側では絶対に「私は大丈夫、私は正しい」という心があります。
その心からは「いがみあい」がうまれます。
仏教では自分以外の人を仏としておがむという考え方があります。
たとえけんかをした相手であったとしても、自分の知らないことを教えてくれたと拝むんです。
人といがみあった状態でうまくいっても心は満足しませんよね。
相手を尊敬し、謙虚な心で挑むところに道が開かれていくのではないでしょうか。
いがみあうのではなく、おがみあう生き方、これをこの1年の最初に心にとどめて、この新たな年を過ごしていただきたいということを願って新年の御法話とさせていただきます。
南無阿弥陀仏
新春お年玉ゲーム大会
善照寺では修正会の法話のあと、毎年恒例の新春ゲーム大会を開催してお参りに来られた方に楽しんでもらっています。
一番に当たったからといって一番いい商品がもらえるとは限りません。
▼こどもがたくさんいるので大人が先にあたった時には空気を読んで景品を選んでもらう方式になっています。
▼今年の目玉商品は「Nintendo Labo」と「switch版マインクラフト」でした。
ビンゴをしたり、トランプを使ったり、年によって抽選するゲームの方法を変えてます。
今年はへんもぶろぐ3周年の時にやってみた、紙コップにピンポン球ゲームにしました。
紙コップに自分の名前を書いたものをトレーに入れて、副住職がそのトレーをもって待機。
▼投げたピンポン球を副住職がキャッチして抽選します。
想定してたより時間がかかってちょっと間延びした感があったので、来年はまた何か考えよう・・・。
除夜の鐘〜修正会まとめ
時代の変化スピードがどんどん加速していく中、お寺やお坊さんがのあり方もまた時代とともに変わっていくのかもしれません。
ただ、科学や技術がいくら進化しても人が「生まれ病になって老いて死んでいく」という基本ルールが変わらない以上、その人間の悩みに対する役割が変わることはないでしょう。
行政や学校では解決しづらい問題を自由な発想と行動力で解決に導くのがお坊さんの仕事だと思います。
今年もみんなが来たくなるような、魅力も学びもあるお寺運営を目指していきますので本年もどうぞよろしくお願いいたします。