日本では、亡くなった人との別れを大切に受け止めるための習慣として「忌中」や「喪中」といった考え方を大切にしてきました。
それゆえ、「忌中は外出を控えたほうがいいの?」「喪中のあいだは何か守るべき特別なルールがあるの?」と疑問がわくことも。
本記事では忌中と喪中の違いや、浄土真宗における忌中・喪中・忌明けの考え方についてわかりやすく解説します。
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忌中と喪中の違いとは?
忌中は「儀式的な期間」、喪中は「感情的な状態」を指すという違いがあります。
忌中とは
忌中は死を穢れと考えて他人にうつさないように、外部との接触を慎む期間のことです。
神道の考え方に基づいていて、ルールとしての隔離期間を指します。
これはあくまでも想像ですが、医学が発展していない時代は感染症や伝染病などで亡くなった場合、近親者も続いて亡くなるようなことがあったのかもしれません。
そこで、ルールとして物理的に外部と隔離することで病気の伝染を防ぐ意味もあったのではないかと思います。
喪中とは
喪中は悲しみに暮れる期間のことで、神道と儒教の考え方に基づいています。
期間やルールで喪中が決まるのではなく、あくまで親しい人を失って悲しいという「心の状態」を指す言葉です。
明確な期間はありませんが、だいたい1年を喪中と考える方が多いようです。
忌中と喪中の図解

用語 | 意味 | 背景 |
---|---|---|
忌中 | 死の穢れが他人に及ばないように 一定期間外部との接触を控えること | 神道の「死=穢れ」思想 |
喪中 | 故人を偲び、深い悲しみの中にある心の状態 | 儒教に由来する道徳的感情 |
忌中はおおむね四十九日(神道では五十日祭)で明け、喪中は一周忌・一年忌までとされることが多いようです。
仏教の四十九日法要と神道の五十日祭の意味や成り立ちはぜんぜん違うものですが、葬儀後に迎える日数が近いため、どちらも儀式を終えると「忌明け」という概念が定着したと考えられます。
浄土真宗における
「忌中」「喪中」の考え方
そもそも仏教では忌中も喪中もなく、「喪に服す」という考え自体がありません。
仏教では生死と書いて「しょうじ」と読み、生まれることと死ぬことは一体であると考えています。
ですから、死を「穢れ」のようにとらえて特別視をしない宗教です。
すべてのものは諸行無常であるという教えの通り、何かの縁で生まれた命が何かの縁でまた形を変えていく一つの過程ととらえますので、死という一点を悪いこととはとらえないのです。
仏教の各宗派の中でも特に浄土真宗では忌中・喪中という考え方からは特に遠い宗派になります。
「南無阿弥陀仏と念仏をして命を終えたものは阿弥陀仏のはたらきですぐに極楽浄土に生まれ仏になる」と受け止めるので、喪に服すという考え方はありません。
とはいえ、宗教・宗派を問わず、家族を失って悲しいという感情は誰しもが持つものです。
その悲しみや喪失感から立ちなおり、社会活動に復帰するまでの移行期間という意味でも忌中・喪中という考え方は日本文化の中で公の共通理解として定着したのだと考えられます。
喪中に旅行やお祝いごとに参加してもいい?
喪中に結婚式や旅行、その他お慶び行事に参加してもいいのでしょうか?という質問をいただくことがあります。
結論から言うと、「参加しても大丈夫」です。
喪中であることが欠席の理由となる場合、その意味は「気持ちが沈んでいて、今はまだ結婚式に出席する気持ちになれない」という個人的心情で参加できないという意味になります。
ルールとしてダメではないので、ご自身の心身の都合がつくのであればご参加頂いてよいでしょう。
亡くなった方が願っているのも、遺族に笑顔と日常が戻り、明るく過ごせるようになることだと思います。
ただ、忌中の期間については他の出席者や関係する方が嫌だと感じることもあるかもしれません。
行事やイベント関係者に相談するという配慮は必要かもしれませんね。
忌中・喪中について
よくある質問
忌中と喪中について、よくいただく質問をまとめました。
まとめ
浄土真宗の基本的な考え方を紹介いたしましたが、現実的には地域や家庭の慣習によって、忌中や喪中のとらえ方、期間には違いがあります。
ご家族や年長者の意見も尊重しながら、お寺や地域の習慣とも調和する形で判断されると良いでしょう。
忌中は、死の「穢れ」が他者に及ばないように外部との接触を控える期間のことです。
一方、喪中は、故人を偲び、悲しみに暮れる心の状態を表す言葉です。
忌中は期間が明確(一般に四十九日まで)であるのに対し、喪中は一周忌までとする習慣が多いですが、法律で定められているものではありません。